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教師は嬉々として戦場に教え子を送った(日教組)

『日教組(森口朗-2010)』

第2章「教団」としての日教組

p85 教師は嬉々として戦場に教え子を送った

では、教え子を戦場に送った教師の気持ちはどのようなものだったのでしょう。
辛い思いで送ったのでしょうか、それならまだ救われる気がしますが・・・。





(中略)

 満蒙開拓青少年義勇軍。そこに教え子を送り続け、開墾と国防を担わせて、内地の日本人よりも遥かに高い確率で死へ導いたのは戦前の教師です。しかも彼らは嬉々として胸を張って生徒を戦場に送ったのです。
 その現実を直視することから逃げ、罪の意識から逃れる為に過激な戦後民主教育の宣教師となるしかなかった。それが戦争直後の教師の心理構造だったのえはないでしょうか。
 書記長や委員長を長く歴任に「ミスター日教組」と呼ばれた槇枝元文氏も、そんな教師の一人でした。彼は『槙枝元文回想録』(アドバンテージサーバー、2008)の中で教え子を少年航空兵(戦死)と満蒙開拓青少年義勇軍(生死不明)に一人ずつ送り出したことを告白し、こう述懐しています。

(中略)

 少年航空兵と満蒙開拓青少年義勇軍では、その罪深さがまるで違います。前者に選ばれたものはピカピカのエリート少年たちです。中でも海軍飛行予科練習生は「予科練」と略され少年達の憧れでした。そのうえ、募集数が少なかったので学校から何名出せという割当もありません。少年航空兵は教師が強制せずとも多くの場合生徒自ら志願した(倍率が高かったので、合格する子供は ほんの一部でした)ので、戦死に対する罪の意識はさほど大きくなかったはずです。
 一方、満蒙開拓青少年義勇軍は貧しく成績が芳しいとは限らない子供達がターゲットでした。募集人数も多く各校への割当も きつかったのです。だから、教師達は時に本人や親を「非国民」と脅し、時には広大な土地が手に入ると甘言を弄して教え子を戦場へと送り出したのです。
 前者の罪には向き合えても後者の罪とは向き合うことが出来なかった。それが槇枝氏の筆に現れているのではないでしょうか。


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